先日こんな記事を見かけました。
<仙台市急患センター>救急なのに診療中止し休憩確保 午前3~4時、試験的に導入
要約すると、仙台市の急患センターが、患者数が比較的少ない午後の1時間を医師や看護師の休憩時間とし、診療を試行的に中止したというもの。
しかしながら一部の看護師は、初期医療救急機関が診療を止めてはならないということで独自に患者を受け入れているらしい。
この記事を読んで色々と思うところがあったので、うだうだと書いてみました。
日本人は不便なことに耐えられるのか?
上記のような医療現場のケースだと生死に関わる場合があるので少し複雑な議論になりますが、これがコンビニだったらどうでしょうか?
客の少ない時間帯はお店を閉めてスタッフの休憩時間とします。便利なはずのコンビニが開いていない。どう思いますか?
それではこれが鉄道だったら?運転士が休憩を取るために1時間は電車が走りません。あなたは今電車で移動したいのに。どう思いますか?
安倍政権下で働き方改革が進められていますが、その改革の一つとして、長時間労働を減らし労働生産性をあげるよう取り組む会社が出てきています。
仙台市の急患センターの取り組みについても、この流れの一端といえるでしょう。
日本は世界随一ともいえるサービス大国として長年君臨してきました。
24時間オープンしているコンビニ。深夜、または朝方まで営業しているレストランや居酒屋、スーパー。当たり前になっていて気付かないほどの便利さの中で人々は暮らしています。
これが当たり前ではなくなった時、あなたは耐えられますか?
ニュージーランドの働き方
先日、車のライトを消し忘れバッテリーが完全に上がってしまいました。
幸い家のオーナーがいたので近くのガソリンスタンドまで車で送ってもらい、ブースターケーブルを借りてまた家に戻り、自分で繋いでみたのですが、うまく作動せず、結局もう一度ガソリンスタンドまで戻り人を呼ぶことになりました。
2回目に行った時、時刻は11時55分。彼らのお昼休憩の5分前でした。家まで車で1分もない距離なので、来てくれるかな、と期待したのですが、当然のごとく、今からお昼ごはんの時間だから、1時間後くらいに行くね、と言われました。
こちらに住んでもう4年になるので既にこういう対応には慣れましたが、日本だったらきっと私の対応まで終えてから、お昼休憩に入るだろうな、と思いました。
ニュージーランドでは、お客様は神様ではありません。客が多いから営業時間を過ぎても対応するなんてことはなく、もう今日は閉めるからまた明日もう一回来てね、という対応が普通です。
都市部では遅く(といっても夜10時くらい)まで開けているスーパーもありますが、多くは6時ごろには閉まります。
こんなに早くスーパーが閉まっていつ買い物するのかと思うかもしれませんが、ニュージーランドはよっぽどのことがない限り残業する文化がないので、会社からの帰宅ラッシュは4時台からはじまります。
郵便物や宅配サービスも、基本的にのんびりです。
ニュージーランド国内の配送でさえ、数ヶ月も届かないままなんてこともあります。
工事もゆっくり。完成予定から1年以上経ってもまだ工事中というマンションや商業施設がたくさんあります。
このようにニュージーランドでは、働き方に余裕がある分、不便さのある社会です。こちらに住んでいると、海外だから、ニュージーランドだから仕方がない、というスタンスで受け入れることができますが、これが日本で行われた場合、どうなるのでしょうか。
不便さを受け入れなければ働き方改革は成功しない
働く全ての人のワークライフバランスを確立するとなると、やはりある程度の不便さを受け入れることが必要不可欠になってきます。
例えば、ニュージーランドでは12月25日のクリスマスは祝日で、ほぼ全てのレストラン、バー、スーパーマーケット、ショッピングモールは閉まっています。
そのため、人々は前日までに食材を買っておかなければ食事に困ってしまいます。とても些細なことですが、不便なことの一つです。
もともとこういった社会であるニュージーランドとは異なり、一度便利な社会を味わった日本社会が、不便さを許容するのは、結構難しいことなんじゃないかなと個人的に思います。ただ、日本も昔はお正月三が日はお店閉まってましたよね。そういう社会に戻るってことだけなのですが、OK分かった!不便だけど大丈夫!なんてすんなりはいかないだろうなぁ。
東京で働いてた時に何度も出会った場面。2、3分電車が遅れただけで謝罪のアナウンスをする車掌、5分も遅れたら乗客からクレームが飛び交う社会。
働き方改革には、こういった完璧を求める日本人の気質や、会社のためにすべてを犠牲にして労働することが美徳とされてきた企業文化などの根本的な意識改革が欠かせないでしょう。
とはいえ、ビジネスで世界に負けず劣らず戦えている日本の今の姿があるのはこれまでの人々の惜しみない貢献があったからこそ。
働き方改革を成功させるには、どの程度のワークライフバランスが日本人にとって、また日本という国にとってふさわしいのか、慎重な見極めが必要になるでしょう。